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久しぶりに高野山を訪ねた。
わが家からは、電車とケーブルを乗り継いで2時間ほどの行程だ。
きらきらと眩い新緑のタイムトンネルを潜って、雲に近い山上の街に着く。
寺院と商店と大勢の人と、そこは過去と現代が混じり合って賑わっている。古いものも静まってはいず、大きく煌びやかに叫び声をあげている中醫保健
日常を超えて、山の声を聞くことができる場所だ。

この山を開いた人は、1200年の時をこえて今もなお生きつづけているという。
いちばんの聖域である奥の院で、その人は一日に2回の食事を召し上がっておられる。維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が、毎日欠かさずに御生身供(おしょうじんぐ)と称される食事を運ぶ。
ぼくのような俗人は、食するということを通じて、偉大なる聖人に親しさをおぼえる。その人は、仏であるとともに人でもある。過去の人でもあり、現代の人でもある。それが空海(弘法大師)という人だ文具公司

より近いところで、より人に近い、ひとりの青年が通りすぎる。そんな風景がある。
「空海は、十九歳になる。妙な青年だったにちがいない。頭髪はよもぎのようで、乞食のなりをしている。ござをかかえ、背中に椅子を背負っているのは、「兜卒天へゆく旅姿だ」と、みずからその戯曲の中で説明しているように、尋常の目からみればばかばかしいほどに気勢(きお)った乞食だったであろう。」
と、司馬遼太郎の『空海の風景』の一節である。
室戸岬の洞窟では、明星が口の中に飛び込んできたという、四国の山野を放浪していた青年の、修行時代の姿がある激光脫毛